ロンドンで迎えるお盆。あらためて母を思う。
- 8月20日
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8月13日。日本では、「お盆」の真っ只中です。
16年ほどまえに歯科医院を開業してから、お盆は数日間の短い夏休み。父を早くに亡くし、結婚後も母を呼んで同居していた私は、お盆だからと実家に帰ることもなく、帰省してきた子供達と家族6人で、のんびりと過ごすのがここ数年のお盆の恒例でした。
2026年のお盆を、たった1人で、ロンドンで迎えている。 本当に不思議で、少し寂しく、お盆の「お」の字もみあたらないロンドンの街で、仕事に忙殺されながら、はたと気づけば「あれ、今日はお盆じゃないの」。
これが今の私の夏のお盆です。
しかしどこにいようと、今年のお盆は特別です。 昨年10月に亡くなった母の新盆なのです。
昨年の今頃は、だいぶ具合の悪くなった母が自部屋に寝ていて、それでも着々と、ビザをはじめとしたや渡英の準備を進めていました。随分と長引いたビザのためのHome Officeとのオンライン面談が行われたのも昨年の今頃。
昨年の4月くらいから、母は急激に弱っていました。物忘れもひどくなり、そのため外に出なくなり体力が落ちたのかと思い、ショートステイに入れたり、なるべく外に連れ歩いたりしながら、私の渡英後にお世話になれるケアホームを探していました。
しかし、この異変は、ただの体力低下ではありませんでした。6年前に患って、1年前に5年の経過観察を経て「完治」したと言われていた胆管がんが、再発していたのです。
胆管がんの怖さは、最初の発病の際に聞いてわかっていましたが、大手術と医師からの奇跡の完治の声を聞いて油断していました。再発後の病気の勢いはすごく、再発に気づいてからわずか数ヶ月で、母は親兄弟、そして私の父が待つ天国へと、あっという間に旅立ってしまいました。
ロンドンは、母にとってもとても思い入れのある街です。
中学校の英語教師として長年働いた母は、アメリカには行ったことがありませんでしたが、ヨーロッパの街とスコッチウィスキーが大好き。20年前の私のUCLへの大学院留学の際も、子どもたちの世話をするために同行してくれ、1年余りを孫と一緒に、自分も思い切り楽しんで過ごした街。
元気な頃の母であれば、「何があっても、一度はじめたことはやり遂げなさい」と言うだろう。
10年前、英国の資格試験を受けに、日本で働きながら何度かの渡英を繰り返していたときも、留守中の子供達の世話を引き受け、そして誰よりも応援してくれていた。ここでやめるのは、母の本意でもないはず。
そう思って、母の体調が悪くなってからも、予定を変えずに、渡英の準備をしてきました。
しかしさすがに、母の命があと少ししかないとなれば、話は別です。ビザがいつ降りるのかも分からず、降りればすぐに動かなければならない。どうしたらよいものか・・・
しかし、悩みながらも母との時間を過ごすうち、別れはあっという間にやってきました。
そして、その数日後に、ビザがおりたとHome Officeから連絡が入りました。
まるで母が、「さあて、そろそろビザがおりるよ。私はそろそろ向こうに行くから、何も心配せずに思い切りやっておいで」とお膳立てをしたかのように。
そして今年の8月。2月の渡英、4月の診療開始を経て、お盆の期間を普段通りにロンドンで過ごしています。
4月から必死で過ごしてきたこの数ヶ月。
とにかく誠実に。ロンドンで生きていくためには日本の保険診療のような費用とはいきませんが、日系だからと法外(と自分が思う)な費用にはせず、患者さんのためになる提案をして、寄り添うこと。
そのスタンスを徹底しているうちに、週に数日の診療日は、歯のことで困っている方たちや、定期検診、クリーニングの患者さんで、少しずつ予約が埋まるようになりました。今では、予約が入りきらず、お昼休みを潰して患者さんをみたり、休診日に急患を受け入れることも。
日本の方がほとんどですが、台湾、香港などのアジアの方、そして現地の方の受診も少しずつ、出てきました。
英国で、悩み、苦しみながらも、なんとか少しずつ前に進んでいる私の挑戦。写真の中の母にもいつも話しかけ、相談しています。でも、返事はわかっている。
「若いうちに、やりなさい」笑
さあ、若いうちに、お盆中も、お盆明けも、また頑張っていきますよ。




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